立誠の歴史・開発の経緯
江戸時代には京都土佐藩邸跡、その後、京都電燈会社(現・関西電力)となり、その敷地内で日本初のシネマトグラフの試写上映に成功しました。
1928年には京都市・立誠尋常小学校(京都市立・立誠小学校)が移転開校され、多くのこどもたちで賑わいました。
1993年には閉校しましたが、自治会行事やイベントの拠点としても積極的に活用され、多くの方々が集う場所でした。
その元・立誠小学校及び立誠学区の文化・歴史を未来へと受け継いでいくシンボルとなり、 文化が集まり、出会いが生まれ、多様なにぎわいが地域に広がる施設「ヒューリックホール京都」が誕生しました。
長い歴史のなか、常に地域住民に愛されてきた立誠小学校の歴史を「立誠のうた」としてご紹介いたします。
⽴誠年表(2020.6.12)
重要度の⾼いものに★印、校名の変遷については◎印
重要度 | 西暦 | 年号 | 月日 | 事項 | テーマ |
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★ | 1554 | 天文23 | – | 角倉了以、生まれる。(没年 1614)学区内の歴史 | 学区内の歴史 |
1582 | 天正10 | – | 織田信長、本能寺の変で死亡。 | 歴史 | |
1598 | 慶長3 | 8月18日 | 豊臣秀吉、伏見城で死亡。 | 歴史 | |
1603 | 慶長8 | 2月 | 徳川家康、幕府を開く。 | 歴史 | |
★ | 1606 | 慶長11 | 1月 | 方広寺大仏殿の再興工事開始。了以は安定した水路確保のため、高瀬川の開削を計画する。 | 学区内の歴史 |
★ | 1611 | 慶長16 | – | 大仏殿完成、禁裏修造工事始まる。了以、運河開削を願い着工。 | 学区内の歴史 |
★ | 1614 | 慶長19 | 7月 | 了以 61 才で死亡。秋、高瀬川完工。 | 学区内の歴史 |
1632 | 寛永9 | – | 素庵(了以の長男)62才で死亡。 | 学区内の歴史 | |
1674 | 延宝2 | – | 鴨川と高瀬川の中の島に建築許可され家が五軒建つ。 | 学区内の歴史 | |
1680 | 延宝8 | – | 高瀬川東岸、先斗町周辺に家が軒を連ね始める。 | 学区内の歴史 | |
★ | 1712 | 正徳2 | – | 高瀬川東岸の町筋に(先斗町)茶屋株、旅籠屋株などが認められ花街化する。 | 学区内の歴史 |
1869 | 明治2 | – | 明治維新にて角倉与一の高瀬舟支配が召し上げられ府土木課へ移管。 | 学区内の歴史 | |
1870 | 明治 3 | – | 京と伏見を結ぶ旅客用高瀬舟が生まれる。 | 学区内の歴史 | |
★ | 1895 | 明治28 | 4月 | 高瀬川沿いに日本最初の市街電車(京電)木屋町二条線走る。 | 学区内の歴史 |
1920 | 大正9 | 6月 | 高瀬川のひき舟の歴史終わる。 | 学区内の歴史 | |
1934 | 昭和9 | – | 起点となる高瀬川一之船入が国の史跡に指定される。 | 歴史 |
重要度 | 西暦 | 年号 | 月日 | 事項 | テーマ |
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★◎ | 1869 | 明治2 | 11月1日 | 下京第六番組小学校として、河原町三条下る西側大黒町において開校。 ※明治元年7月の府達により市中の分割を定め下京第六番組となる。 |
小学校 |
◎ | 1872 | 明治5 | 5月3日 | 下京第六区小学校と改称。 | 小学校 |
◎ | 1874 | 明治7 | 4月 | 三川小学校と改称。 | 小学校 |
◎ | 1877 | 明治10 | 10月 | 立誠小学校と改称。(第 11 代京都府知事槇村正直により命名) | 小学校 |
1879 | 明治12 | 1月 | 改築工事がすべて終わり、式典を行った。 | 小学校 | |
1885 | 明治18 | – | 校舎一棟を建て増しした。 | 小学校 | |
◎ | 1887 | 明治20 | 4月 | 下京第六尋常小学校と改称。 | 小学校 |
◎ | 1892 | 明治25 | 4月 | 京都市立誠尋常小学校と改称。 | 小学校 |
1894 | 明治27 | 11月 | 学校の敷地内に京都市立誠幼稚園を開園。(明治 37 年廃園) | 小学校 | |
1911 | 明治44 | 4月 | 立誠校同窓会誕生。第一回総会(発会式)を開く。 | 小学校 | |
1914 | 大正3 | 5月 | 特別二部教授を始めるにあたり、夜間児童入学式を挙行。 | 小学校 | |
1918 | 大正7 | 11月 | 創立50 周年記念式典挙行。 | 小学校 | |
★ | 1924 | ⼤正13 | 1⽉22⽇ | 新京極の⼤⽕(隣接の明治座より出⽕)により、校舎⼆階⼀棟が焼けた。 ※当時の新聞記事あり(隣にはレーニン死亡の記事) |
小学校 |
★ | 1926 | 大正15 | 7月21日 | 備前島町(現在の場所)に校地を移転。地鎮祭を執行。 | 小学校 |
★ | 1927 | 昭和2 | 12月 | 鉄筋コンクリート造の新校舎が完成。 | 小学校 |
1928 | 昭和3 | 1月 | 改築竣工式を挙行。 | 小学校 | |
1937 | 昭和12 | 3月 | 運動場拡張。 | 小学校 | |
1940 | 昭和15 | 11月 | 山科北花山に校外学園として日の岡学舎を開設。 | 小学校 | |
◎ | 1941 | 昭和16 | 4月 | 京都市立誠国民学校と改称。 | 小学校 |
1945 | 昭和20 | 3月 | 太平洋戦争激化のため、京都府何鹿郡西八田村(現・綾部市)に集団疎開。 | 小学校 | |
◎ | 1947 | 昭和22 | 4月 | 京都市立立誠小学校と改称。 | 小学校 |
★ | 1948 | 昭和23 | 4月 | 六・三制の実施に伴い、通学区域が変更される。元銅駝学区の一部児童 250 余名を迎える。 | 小学校 |
4月 | 最初の女性校長3人のうちの1人、奥村琴校長が着任。 ※22年5月に京都で最初の女性校長が誕生した。 |
小学校 | |||
1949 | 昭和24 | 3月 | 児童数増加のため、衛生室を普通教室に変えた。 | 小学校 | |
1949 | 昭和24 | 10月 | 新校歌を制定(信楽香雲氏作詞・中原都男氏作曲) ※信楽香雲氏は鞍馬寺の住職 |
小学校 | |
1969 | 昭和44 | 11月 | 創立100 周年記念式典を挙行。 | 小学校 | |
1973 | 昭和48 | 9月 | 山科北花山に立誠校外学舎が完成。(100 周年記念事業) | 小学校 | |
1975 | 昭和50 | 8月 | 第1回高瀬川灯ろう流しが開催され児童の作った灯ろうを流す。 | 小学校 | |
1989 | 平成1 | 11月 | 創立120 周年記念式典後、全児童、教職員、地域の人々が運動場に人文字を作り、航空写真で記念に残す。 | 小学校 | |
1992 | 平成4 | 4月 | 一年生の入学児なしで新学期スタート。 | 小学校 | |
★ | 1993 | 平成5 | 3月25日 | 立誠小学校閉校式、立誠学区民閉校記念式典を挙行。 | 小学校 |
★ | 3月31日 | 京都市立立誠小学校 124 年の歴史に終止符を打ち、閉校。 | 小学校 |
重要度 | 西暦 | 年号 | 月日 | 事項 | テーマ |
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1877 | 明治10 | – | 京都府留学⽣として稲畑勝太郎(染⾊技術を学ぶため)、横⽥永之助ら計⼋⼈と渡仏。 リヨンのラ・マルティ⼆エール⼯業学校でオーギュスト・リュミエールと出会う。 |
映画 | |
1885 | 明治18 | – | 稲畑勝太郎ら、帰国。 | ||
1895 | 明治28 | 12⽉28⽇ | リュミエール兄弟がパリでシネマトグラフを⼀般有料公開。 | 映画 | |
1896 | 明治29 | 3⽉ | 稲畑が織物機械設備購⼊のために渡仏した際にオーギュストから「動く写真を発明したから是⾮⼀度⾒てくれ」と誘いを受け、シネマトグラフに出会う。 東洋におけるシネマトグラフの配給権を獲得する。 |
映画 | |
1897 | 明治30 | 1⽉ | 稲畑勝太郎、コンスタン・ジレルと帰国。 技術⾯で試写に苦戦するも、⼀⽉下旬京都電燈の中庭(のちの⽴誠⼩学校跡地)で試写実験が成功。 |
映画 |
重要度 | 西暦 | 年号 | 月日 | 事項 | テーマ |
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1996 | 平成8 | – | 元立誠小学校跡地検討委員会設置 | 跡地活用 | |
1997 | 平成9 | – | 『元立誠小学校の跡地(施設)利用の要望書』を京都市市長に提出。 | 跡地活用 | |
2007 | 平成19 | 6月 | 「文化芸術によるまちづくり」(「京都文化芸術都市創世計画」) 実現のため、立誠・文化のまちプロジェクト運営委員会を設立。 既存校舎を活かした多様な文化活動、自治会活動を行う。 |
跡地活用 | |
2014 | 平成26 | 4月 | 常設の映画館として「立誠シネマ」開館。 | 跡地活用・映画 | |
2015 | 平成27 | 8月 | 元職員室にて TRAVELING COFFEE 常設オープン。 | 跡地活用 | |
2016 | 平成28 | – | 元立誠小学校跡地活用に係るプロポーザル募集開始。 | 跡地活用 | |
2018 | 平成30 | 3月 | 「元・立誠小学校」としての文化活動を終了する。 | 跡地活用 | |
4月 | 京都市、ヒューリック株式会社及び立誠自治連合会との間で元立誠小学校跡地活用計画に係わる契約を締結。 | 跡地活用 | |||
4月 | 仮設施設にて立誠図書館、TRAVELING COFFEE オープン (2020年2月いったんクローズ) |
跡地活用 | |||
2020 | 令和2 | 7⽉21日 | 複合施設「立誠ガーデンヒューリック京都」オープン | 跡地活用 |